宮澤・レーン事件を考える会

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春の北海道大学に宮澤・レーン事件を訪ねて

2022年4月4日 by admin_okui

今年の大雪で雪解けが遅くなっています。北大の外国人官舎跡もいつもは4月に入ったらかわいいスノーフレークの群生が見られたのですが、やっと土が見え始め、スノーフレークが3,4か所でつぼみを持ち始めました。大雪で木の枝が多数折れて落ちています。4月17日には群生が見られると思います。午後1時に官舎跡地に集まり、清掃した後、戦時中の外国人教員官舎の様子と宮澤レーン事件のつながりを話し、昭和の初めに日本に入ってきた南ヨーロッパ原産のスノーフレークについて外来植物に詳しい持田さんにお話を聞きます。

その後学術交流会館に移動し、持田さんから北大の外来植物の話を聞き、DVD完全版「レーン・宮澤事件 もうひとつの12月8日」を見ます。作家希望の方はお9オー1527-9009に連絡をお願いします。

  • 2021年群生するスノーフレーク
  • 咲始めてから時間がたって花弁が開いていました

4月17日のちらし

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2022年2月22日は宮澤弘幸の無念の死から75年

2022年2月24日 by admin_okui

1941年12月8日スパイ冤罪事件で検挙され、懲役15年で収監され、厳しい獄中生活により衰弱し、1945年10月に釈放されたにもかかわらず、アメリカに留学するという思いを持ちながら1947年2月22日短い人生を閉じました。

2月22日、東京の北大OBOG会は弘幸が眠る新宿常圓寺の宮澤家の墓に墓参しました。山野井孝有さんも参加し、秋間美江子さんとの出会いと思い、あわせて北大総合博物館で開催された特別展の感動を語りました。なおご子息の泰史さんご夫妻もこの日墓参に加わりました。

2013年から2015年までは、2月22日に「北大生・宮澤弘幸スパイ冤罪事件の真相を広める会」が宮澤弘幸の追悼・顕彰のつどいを開催してきました。 2016年からは「宮澤・レーン事件を忘れない!北大・戦後世代をつなぐ0BOG会」がつどいと墓参を引き継ぎました。2020,21年はコロナ禍で中止となり、今年も朝日新聞の記者北大卒の青木美希さんの講演を予定していましたが、またもやオミクロン株の感染で中止せざるを得なくなり、弘幸さんの墓参のみになりました。しかしコロナ禍に負けず、私たちはこれからも北大OBOG会とともに宮澤・レーン事件を二度と起こさせないために頑張っていきたいと思います。

予定していた2.22の集会の案内
新宿常圓寺で宮澤弘幸墓参

今年は昨年12月12日の当会の集会に参加された山野井さんが弘幸さんの妹秋間美江子さんと出会ったきっかけとなった息子の登山家山野井泰史さん夫妻も参加されました。(毎日新聞記事)

最前列 泰史さん 前列左端 山野井孝有さん           3人目は泰史さんの妻妙子さん(北大OBOGの会 泉さん提供)

2.22毎日新聞記事  クリックすると拡大されます。

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ー「宮澤・レーン事件」80周年特別展に寄せてー 写真でたどるレーン夫妻の物語と宮澤弘幸の青春の日々 学習資料No.10

2022年1月27日 by admin_okui

「写真と資料でたどるレーン夫妻の物語」について                   ハロルド・M・レーンは、クエーカーの家庭に生まれ、その影響           の強 い大学で学び、職もフレンズ(クエーカーの別称)協会             事務局長とな りますが、第一次大戦の兵役では反戦平和主義の           立場で良心的兵役拒 否者として行動、フランスでの復興業務に            従事します。その後、日本 政府の公募に応じ北海道帝国大学予            科の教師として 1921 年 8 月に任 用されます。                 一方、アメリカンボードから派遣された宣教師 G・ローランド            の娘 ポーリンは京都で生まれ、父の札幌派遣に伴い 15 歳まで            を過します。 渡米して大学を卒業、24 歳で来日、札幌一中や           北海中学で 2 年ほど 教鞭を執ります。26 歳で渡米し大学同窓          生と結婚、一女をもうけま す。しかしその夫は早世し、残され             たポーリン親子は札幌の父母の元 に戻ります。 予科教師H・            レーンの寄宿先は G・ローランド宅で、二人は知り合 い 1922年4月に結婚、レーン夫妻の物語の始まりです。 夫妻は 6 人の娘達に恵まれます。戦前 20 年にわたる英文学と英語指 導の中で予科生 宮澤弘幸と深い交流を持ち、全く濡れ衣の外聴容疑者 一斉検挙で2 年にわたる獄中生活、苦難の交換船での帰米、戦後北海 道大学への再任用と波乱に満ちた生涯を送ります。夫妻は事件の苦難 を話す事はありませんでした。留学や論文作成で沢山の学生・教官が お世話になりました。

宮澤アルバムを読む~詩歌・添え書きを中心に―

宮澤が残した3冊のアルバム(2012年10月と2014年5月に北大に           寄贈、現在北大文書館所蔵)の内容から弘幸の人間像に迫りました。                           宮澤アルバムの空いたスペースには、写真から連想される80句           ほどの自作の短歌の他、俳句、詩、添え書きなどが書き込まれて           います。また弘幸が描いたと思われる地図や挿絵も随所に見られ           ます。与謝野寛・晶子、島崎藤村、ダンテ、ニーチェなど古今東           西を問わず、多くの歌人、詩人、作家、哲学者等の作品が引用さ            れています。                                 弘幸は1937(昭和12)年に北大予科工類に入学し、間もなく文武           会の活動を始め、弁論部、講演部でも活躍していました。古典研          究会、哲学研究会なども作って勉学したそうです。北大構内、大           学の牧場、札幌市内の風景を歌や詩にしています。また、自然を           愛し、旅行、登山、スキーを好みました。札幌近郊の小樽や道東           阿寒、遠くは樺太へ旅し、手稲山・富良野・ニセコへはスキーに          行きました。特に親しい友人であったイタリア人留学生マライー            ニとその家族への愛情あふれる作品も印象的です。アイヌにも深            い想いを抱きました。総じて、アルバムの詩や短歌には彼の豊か           な感性と文学的素養が反映されています。自作の詩や短歌は自然            を美しく浪漫的に歌い上げるほか、自分の生を投影して省察する           など青春の純粋な気持の動きを読み取ることができます。他方彼           は広く世界に目を向け、貪欲にいろんなことを学びました。とら           われない目で様々な物事を探求する、いわば自立した思考、自由             な思想を持つ学生だったと思われます。                             アルバムは情熱的に駆け続けた弘幸の短い生涯を象徴的に物語っ           ています。

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宮澤・レーン事件を考えるつどい、多くの皆様のご参加ありがとうございました

2021年12月22日 by admin_okui

12月12日、北海道大学学術交流会館、第1会議室で開かれたつどいは多くの参加者の熱気あふれた                         つどいとなりました。                                                                 *画像をクリックすると大きくなります。                          

 

宮澤・レーン事件を考えるつどいプログラム

12月12日、北海道大学学術交流会館、第1会議室で開かれたつどいは多くの参加者の熱気あふれたつどいとなりました。                    1.考える会代表幹事唐渡興宣北大名誉教授から宮澤・レーン事件から学ぶこと―思想・良心の自由を生きること―と題して挨拶が                           ありました。                                                            レーン先生が良心的兵役拒否者で兵役拒否は独りよがりの意思ではなく、平和を愛する人々の意思を表明するものであったこと、宮澤弘幸は学問だけではなく、登山、旅行、文筆活動に取り組み、自己にふさわしい生き方を送っており、可能な限り「思想・良心の自由」を生きた。いま私たちは安倍がつくった忖度体制が活きている中で、あらためて時の権力に対して忖度を拒否し、「思想・良心の自由」の大切さをレーン先生、宮澤君から教えられていると。                                                     

唐渡興宣考える会代表幹事開会の挨拶
DVD 「もう一つの12月8日」を見る

2.DVD「もうひとつの12月8日」は短縮版でしたが、事件をよく理解することができた。スパイ事件の本質を知ることができた。短縮版ではなく、元のDVDを見たいなど大変好評でした。DVD上映の機会を特別展の期間中に作りたいです。                         3.考える会幹事中原さんから考える会の活動の紹介、特別展開催実現の経過、意義と課題、レーンさんについては考える会の協力者吉田氏の努力で新しい資料の発見などが話されました。

北大総合博物館特別展示見どころを語る中原幹事

                                                                                                                  

山野井孝有さん講演 博幸さん妹秋間美江子さん、宮澤・レーンスパイ冤罪事件を語る

4.山野井孝有さんの講演来年宮澤弘幸さんの命日2月22日に90歳を迎える山野井さん。秋間美江子さんとの出会いは息子の登山家泰史さんがコロラドで登山中転落事故にあったことから始まることを紹介し、泰史さんが植村賞、今年はフランスの登山のアカデミー賞といわれるピオレドール賞を受賞できたのも美江子さんの献身があったからこそと紹介。美江子さんがアルバムを北大に寄贈する際に、北大に謝罪と冤罪を認めさせるために「北大生・宮澤弘幸「スパイ冤罪事件」の真相を広める会」を結成したときに二人で広める会の代表になって頑張ったのが92歳の山本玉樹元北大教員(考える会代表幹事)と紹介しました。美江子さんのスパイの家族の苦しみがよくわかった。わかりやすい大事な思いのこもった熱弁だったという感想が多くありました。                    5.元北海道教育大学教授袁克勤氏が中国政府にスパイ容疑で拘束されている事件について長男の袁成驥さんが経過を説明。弁護士がついているようだが、いままで一度しか面会ができず、中国での情報が伝わってこない。父は身に覚えのない容疑で拘束され、宮澤・レーン事件と共通するところが多い、スパイ冤罪事件は過去のことではないと訴えました。

中国政府にスパイの疑いで拘束された元北海道教育大学教授袁克勤さんを語る息子さん

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北大総合博物館「宮澤・レーン事件」80周年特別展新聞報道

2021年12月15日 by admin_okui

*写真をクリックすると大きくなります。

北海道新聞
12.5北海道新聞
12.5朝日新聞北海道版

12.5読売新聞
北海道新聞投書欄

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北大総合博物館「宮澤・レーン事件」80周年特別展示オープニング動画

2021年12月15日 by admin_okui

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宮澤・レーン事件を考えるつどいのご案内

2021年12月9日 by admin_okui

北海道大学総合博物館 「宮澤・レーン事件」80周年特別展に寄せて

特別展に合わせて、宮澤弘幸の妹、秋間美江子さんと共に宮澤・レーン事件の運動に貢献された「北大生・宮澤弘幸『スパイ冤罪事件』の真相を広める会」の元代表、山野井孝有氏を招き、宮澤・レーン事件を考えるつどいを開催致します。今日までの私たちの活動の出発点を確認するとともに、これを機に運動をもう一歩前に進めるために皆さんと共に考えたいと思います。

山野井さんはこの秋、登山界のアカデミー賞といえるフランスのピオレドール生涯功労賞を受賞した山野井泰史氏の父親です。アメリカに在住する秋間美江子さんと山野井孝有氏を結び付けたのが泰史さんでした。1985年泰史さんはロッキー山脈での登山中に転落し、コロラド州ボルダーの病院に搬送され、そこでボランティアをしていた美江子さんが世話をすることになったのです。医療費の高いアメリカ、美江子さんは自宅に泰史さんを引き取り、面倒を見たのです。そこから美江子さん夫婦と山野井さん一家との家族ぐるみの付き合いが始まりました。当時は美江子さんがスパイの家族として辛い思いをしていたことは口にすることはなかったのですが、1986年国家機密法が国会で上程され上田弁護士が「戦争と国家機密法」を上梓したことから宮澤・レーン事件、秋間美江子さん、山野井さんがつながったのです。

北大では上田弁護士の調査を手伝った山本玉樹氏(考える会代表幹事)が市民講座クラーク講座を開催し市民にむけてこの事件を取り上げていました。美江子さんが弘幸さんのアルバムを北大に寄贈することになり、美江子さん、山野井氏そして山本氏がつながり、市民運動として発展していったのです。

  • ボルダーの秋間家に世話になる山野井泰史さん
  • ボルダ―美江子さん夫妻と山野井夫妻 左から山野井夫妻秋間浩氏、右端美江子さん
  • 美江子さんがボランティアでボルダーの縄跳びチームと来日し、山野井家に宿泊

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北海道大学総合博物館で「宮澤・レーン事件」80周年特別展が始まりました。

2021年12月9日 by admin_okui

 12月4日北大総合博物館において「宮澤・レーン事件」80周年特別展開催のセレモニーが行われました。宮澤・レーン事件を考える会の代表幹事、幹事などが集まりました。小澤博物館館長、山本文書館館長の挨拶がありました。お二人からはこの展示が宮澤・レーン事件を考える会の協力を得たこと、上田弁護士の著書によりこの事件が冤罪であることが指摘され、宮澤の妹の美江子さんを中心に事件を繰り返し語り継ぐ運動が広がったことを指摘し、事件を風化させず、資料を通じて事件の現在的意義、戦争について考える機会にしてほしいということが話されました。

テープカットはお二人の館長と、宮澤・レーン事件を考える会の代表幹事 山本玉樹、唐渡興宣、そして昨年亡くなった宮澤さんの妹、秋間美江子さんの遺影も一緒に行われました。その後文書館井上准教授から展示について詳しい説明がありました。

セレモニー会場
小澤北大総合博物館館長
山本北大文書館館長
テープカット唐渡代表幹事の手に秋間美江子さんの遺影が
会場入り口
展示会場
左から山本、唐渡考える会代表幹事井上文書館准教授
展示パネルを説明する北大文書館井上准教授
北大生宮澤弘幸「スパイ冤罪事件」の真相を広める会と宮澤・レーン事件を考える会の発行物も展示

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北海道総合博物館「宮澤・レーン事件」80周年特別展  12月4日(土)~2021年1月30日(日)

2021年12月1日 by admin_okui

 今年はアメリカ人英語教師レーン夫妻と宮澤弘幸がスパイ容疑で検挙された1941年12月8日から80年。この頃、戦時色が強まる中でも、北大では外国人教師と北大生との人間的な交流が続けられていました(心の会など)。その営みがスパイの嫌疑で弾圧されたのが宮澤・レーン事件です。北大にとっても忘れることのできない事件と考えられます。このような悲劇を再び繰り返させないためにも、多くの人びとに、事件の全体や宮澤さんと                                                                                             レーン夫妻の人となり、そして彼らの北大時代の活躍を、新しくわかった事実を含めて伝えたいと考え、昨年、北大総合博物館での「宮澤・レーン事件」80周年特別展を開くことを要請しました。その結果、北大総合博物館から博物館と文書館の共催 として開催し、展示について当会が協力するという返答をいただきました。当初、秋の開催予定でしたが、コロナ禍で12月4日から1月末までの開催になりましたが、井上文書館准教授を中心に私たちが協力してできた展示の内容は限られた展示パネルではありましたが、宮澤弘幸、レーン夫妻の人となり、事件の真相と背景、戦後の軌跡を 伝えることの内容になりました。                                                     

  • 事件をめぐる”出会い”と”絆”をたどる

                                  

                        



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事件から80年、今年も北大ピースツアーを実施します。

2021年10月12日 by admin_okui

コロナ禍で思うような活動ができずにいましたが、宮澤・レーン事件から80年を迎える今年、北大総合博物館での宮澤・レーン事件の特別展が北大総合博物館と文書館の共催、宮沢・レーン事件を考える会協力で開かれることが決定し、秋の予定がコロナの緊急事態宣言で12月に延期にはなりましたが、開催されます。コロナ禍で決定が遅くなりましたが、例年開催してきた宮澤・レーン事件を歩く北大ピースツアーを行います。

皆様と宮澤・レーン事件を巡ったあと、事件の意味、今後の伝えるための運動などについて話し合いたいと思います。宜しくお願いします。

日時:10月17日(日)13時半 集合

集合場所:北大クラーク像前

  • 事件80周年北大ピースツアー

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北大のレーン夫妻が住んでいた官舎跡にも春が来ました。

2021年4月5日 by admin_okui

宮澤。レーン事件を広く知ってもらう活動の中で私たちは北大の英語教師だったアメリカ人のロバート・クルツさんと出会いました。ちょうどレーンさんの後に北大で英語を教えた方で北大でよく散歩するレーンさん夫妻を見かけたそうです。ロバートさんから官舎跡に毎年春一番にスノードロップが咲くことを教えてもらいました。秋間さんとは北海道に来られた2014年に官舎跡で会っています。

今年もまだ雪が残る官舎跡の林に見事な白い花のスノードロップの群生が見られました。毎年少しずつ群生が広がっているように思います.

スライドショーになっています。矢印をクリックしてください。

  • 雪の残る林の奥に見えるスノードロップの群生
  • 林の奥まで広がるスノードロップ
  • 咲始めてから時間がたって花弁が開いていました
  • 花弁が開き始め出しています

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つどい2部~宮澤弘幸のアルバムから~宮澤弘幸は満州(満洲)で何を見たのか

2021年3月7日 by admin_okui

宮澤弘幸は満州(満洲)で何を見たのか 報告 北明邦雄        

  山を愛し文学にいそしみ、貪欲に学び、学生生活を謳歌していた宮澤弘幸。その未来は無残にも27歳で断ち切られてしまった。

 1940年5月、宮澤は満鉄の懸賞論文に当選し学生10名と1か月間満州を見て回った。その時の見聞が「満州を巡りて」と題し3回にわたって『北海道帝国大学新聞』に連載された。それを読むと宮澤のものを見る目の確かさがわかる。

  • 満鉄懸賞論文合格
  • 満鉄招聘満洲調査団
  • 満洲地図
  • 弥栄へ

 1931年に関東軍は満州事変を引き起こし、翌年満州国を建国した。中国侵略の開始である。政府は昭和恐慌で疲弊した農村の過剰人口を開拓名目に満州へ送り込んだ。

 満州に足を踏み入れた宮澤は事態の本質を鋭く見抜いた。曰く、満州帝国は独立国にあらず、混乱と焦燥の満州、と。そして羅津開発、弥栄村、民族協和等々が抱える問題を具体的に指摘した。さらに農業の機械化と電化の重要性を主張した。いっぽう彼の視線の奥には、無欲に「聖鍬を振う」開拓農民に対する限りない優しさがあった。それは創作「朝から朝まで」に遺憾なく表現されている。

  • 上 孔子廟にて 下ハルピンにて
  • 寛城子にて
  • 上 三河の水車 下 大連観光
  • 上 三河にて 水く 下 奉天にて子供たちと

 宮澤は満州で見聞したことを踏まえ応募論文「大陸一貫鐡道論」に手を入れて発表した。しかし、それでもなおツメなければならない点を自覚していたのであろう、翌1941年8月に単身中国大陸に渡った。日ソ関係が一段と緊迫し日米関係も悪化の一途をたどる頃であった。

 帰国後この旅で見たことをいわば茶飲み話としてレーン夫妻に語った。それが軍機保護法違反、探知と漏えいのスパイ罪にあたるとされたのである。時代の波頭に立つ宮澤の生き方、それは同時に様々な危険と裏表であった。                     

                                                  

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つどい2部~宮澤弘幸のアルバムから~文学青年宮澤弘幸

2021年3月4日 by admin_okui

文学青年宮澤弘幸         報告 河道前伸子

弘幸はアルバムに多くの短歌、俳句、詩、短い文章を書き込んでいました。それらの作品から弘幸が何を考え、感じていたかを推察していただきたいと思います。                                                          弘幸は昭和12年に北大予科工類に入学して間もなく文武会活動を始め、昭和13年度の理事になりました。昭和13年の桜星會雑誌に弘幸の詩が掲載されています。また、弁論部、講演部でも活躍していました。 構内に悠然と立つ楡の木、大学の牧場の穏やかな風景、札幌の冬景色、すべて創作の対象になりました。

また、工学部に進学した時の楽しく弾むような文章、マライーニとその家族への愛情あふれる作品が印象的です

弘幸は自然を愛し、旅行、登山、スキーを好みました。札幌近隣、阿寒国立公園、手稲山・富良野・ニセコへのスキー登山, 北アルプス縦走。

また、樺太大泊、樺太敷香、満州(2回)、千島・樺太の灯台めぐり。アイヌやオロッコに関心を持ち、平取、二風谷、オタスの杜(樺太)でも作品を残しています。

宮澤弘幸は文字通り文武両道の学生でした。

アルバムの詩や短歌は、青春を謳歌する若者の純粋な気持ちを表現しています。世界に目を向け、自立した自由な思想を持つ学生だったと思われます。

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つどい2部~宮澤弘幸のアルバムから~アルバムが語る宮澤弘幸 

2021年3月2日 by admin_okui

アルバムが語る宮澤弘幸       報告 中原豊司

はじめに

宮澤弘幸は生前3冊のアルバムを残しました。1冊目が予科時代、2冊目が工学部時代とその他、そして3冊目が家族です。弘幸の逮捕時たまたま友人宅にあって押収を免れました。妹秋間美江子さんが2012年に北大に寄贈し、現在は文書館に保管されています。今日はこのアルバムの全体を紹介し、宮澤の青春とは何であったのかを考えてみたいと思います。                                                            1.北大に入学してからの弘幸は、何でも見てやろうという気持ちで学生生活を謳歌しました。友人達との旅行や登山・スキー、また文武会でも理事に推挙され文化講演活動に活躍しました。アルバム写真には、数多くの添書きや自作短歌や引用また絵はがきなども貼付され多彩な情報が盛られています。

  • 友人たちと駒ケ岳へ
  • 父と弟と近文に
  • スキーを楽しむ
  • 文武会理事に  講演会

2.英語が得意だった弘幸は外国人教員の官舎やヘッカー宅を訪ね、レーン夫妻との交流、「心の会」での繋がりを通して興味、関心を大きく広げました。特にマライーニが来てから(38年12月)は本格的に冬山や岩登りも手がけ、北大山岳部のペテガリ遭難を契機に、本邦初のイグルー作りを実践し、後に一家と同居するまでになります。

  • 冬山遭難対策のために手稲山でマライーニとイグルーの研究を
  • マライーニたちと近郊の山に
  • 学生と外国人教師野学びと親睦の会「心の会」発足

3.アイヌ研究者であったマライーニとは平取二風谷を自転車でめぐり襟裳岬を越えています。少数民族への関心は海軍の樺太大泊での勤労体験後に、オタスの杜まで足を伸ばすなど、貴重な写真を残しています。

  • 広尾方面にマライーニと自転車旅行
  • アイヌの村へ
  • オタスの杜を訪ねて

4.工学部に入学(40年)してから活動は大きく広がりアテネさっぽろでの仏語講座創設に関わって第1回講師を務め、1940年満鉄の懸賞論文に入選、8月、1カ月に及ぶ満洲旅行をしました。帰国後すぐにマライーニと穂高~槍が岳登山、翌年1月には満州旅行報告会、3月には習志野で開催された戦車学校にも参加しています。

  • 4仏語をアテネフランセで教える
  • 満鉄招聘満州旅行
  • マライーニたちと北アルプス縦走
  • 戦車学校(習志野)

5.運命の41年、弘幸は6月に二風谷を訪ね、7月伝手を頼って再度の千島、樺太旅行、8月にも再度の満州・大陸旅行に単独で出かけます。この旅行の意図は何だったのか、アルバムには明確な情報はありません。迫る戦争の足音の中、11月母とヘッカー宅を訪問、そして12月8日の全国一斉検挙で獄に繋がれます。

  • 二風谷へ マンローの家の前で
  • 大陸旅行
  • 千島へ

6.3冊目のアルバムは家族関係、北大入学前の写真です。毎年1月に家族の記念写真を撮っていますが、1942年以降そこに弘幸がいないのは痛々しさすら感じさせます。

  • 1940年1月宮澤家
  • 1942年1月 弘幸の姿はない
  • 戦後マライーニの娘ダ―チャとユキと宮澤一家と
    後列左弘幸



終わりに

不当な逮捕、スパイ容疑は冤罪であることは今日では明らかです。アルバムに残された弘幸の青春の多彩な活動と交友・交流の記録は、冤罪の不当性を雄弁に物語っていると思われます。

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宮澤・レーン事件事件を考えるつどいが開かれました。1部 秋間美江子さんの追悼の会

2021年2月23日 by admin_okui

宮澤弘幸さんの命日2月22日、北大学術交流会で定員が埋まる盛況のうちに開かれました。

 一部 宮澤弘幸さんの妹、秋間美江子さんの追悼の会

昨年10月25日93年の生涯を閉じられた秋間美江子さんを偲ぶ追悼の会を会の初めに行いました。映像で美江子さんの生涯を紹介しました。戦後もスパいの家族として辛い思いをされた美江子さんは1965年夫の浩さんとアメリカボルダーに移住、過去のことを心の中に隠し、穏やかな生活をしていましたが。しかし浩さんは来日した折、1987年国家秘密法が国会に提出される事態に書かれた上田弁護士の「戦争と国家秘密法」に出会い、その中に宮澤・レーン事件に触れていたことを見て、上田弁護士に手紙を出したことから美江子さんの人生も大きく変わったのです。それまで病院でのボランティアやボルダーに留学した日本の学生を自宅に向かい入れ、千人もの学生を世話をしていた生活に平和のためにお兄さんの事件を語り継ぐ活動が加わりました。何度も日米を往復し、国家秘密法、秘密保護法の危険性を訴え続けてくれました。

札幌でも2014年に北大で講演をし、2016年の事件から75年の12月8日に北大に立ちたいと来日、、考える会とビー・アンビシャス9条の会・北海道が公演した事件の劇、「エルムに寄せて」を観劇していただき、予定になかったのですが、劇の最後に舞台に立ち、劇のお礼を述べ、「日本の平和、世界の平和のために頑張ってください。」と私たちを激励していただきました。その言葉が私たちが聞いた最後の言葉になりました。

美江子さんと上田弁護士と交流のあった山本玉樹考える会代表幹事と、ボルダーで美江子さんに世話になって、札幌での美江子さんのお宿になっていた佐藤さんの心のこもった言葉と、国家秘密法の反対運動で秋間夫妻を札幌に招いた郷路征記弁護士とボルダー視察でお世話になり、その後家族ぐるみで親しく交流のあった帯広在住の坂本和昭の秋間さんへの感謝の気持ちにあふれたメッセージに美江子さんの人柄がしのばれました。

  • 定員いっぱいの参加でした
  • 秋間さんと弘幸さんを語る山本玉樹考える会代表幹事
  • 秋間さんにボルダーで世話になった佐藤さん

二部は秋間美江子さんが北大に寄贈した宮澤弘幸さんのアルバムが語る宮澤弘幸像を報告しました。

次の3件の記事をお読みください。

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冤罪宮澤さん本質見る目

2021年2月23日 by admin_okui

朝日新聞の片山記者が2月22日の集会の内容を分かりやすく端的な報告記事に!

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2月22日の集会が近づきました

2021年2月18日 by admin_okui

朝日新聞北海道版に2月22日の宮澤・レーン事件を考える集いのお知らせが掲載されました。宮澤弘幸さんの妹秋間さんのスパイの妹として生きざるを得なかった辛い人生と日本とアメリカを結ぶボランティアに徹した人生を振り返り、心からの追悼の意を美江子さんに伝えたいと思います。一方宮澤弘幸さんのアルバムから宮澤弘幸の人間像を探ります。アルバムの詩や短歌は、青春を謳歌する若者の純粋な気持ちを表現しています。アルバムから浮かび上がる宮澤弘幸の人間像の強い知的好奇心と世界に目を向けた広い学び、自立した思考と信念に驚かされます。無限の可能性を秘めた弘幸さんの未来は無残にも27歳で断ち切られてしまいました。集会ではそんな弘幸さんを皆さんに伝えます。まだ若干名参加枠があります。希望者はご連絡を。

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今年は宮澤・レーン事件から80年!2月22日に宮澤・レーン事件を考えるつどい開催

2021年1月6日 by admin_okui

新しい年を迎えました。2月22日は宮澤弘幸の命日、その日に「宮澤・レーン事件を考えるつどい―宮澤弘幸を語る」を開催します。

 例年宮澤・レーン事件が起こった12月に開いていたつどいをコロナ禍第3波のため延期しましたが、冤罪事件で犠牲になった宮澤弘幸の74回目の命日2月22日に開催することになりました。昨年10月25日に亡くなった弘幸の妹秋間美江子さんの追悼と宮澤弘幸の遺したアルバムから彼の人間像を読み解き、報告するつどいです。日本学術会議会員の任命の拒否、学術会議への政府の圧力が強まる今、宮澤・レーン事件が私たちに教える意味を考えたいと思います。コロナ禍で会場も定員の1/2の約70名となりますが、ぜひご参加ください。

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宮澤弘幸さんの妹秋間美江子さんの訃報が道新の墓碑銘2020に

2021年1月3日 by admin_okui

 2020年12月31日の北海道新聞の国内の墓碑銘に秋間美江子さんの写真と簡単な紹介がカラー写真入りで乗りました。7,8年まで宮澤・レーン事件を知る人はほんの少数でした。2012年秋間美江子さんが弘幸さんが遺したアルバムを北大に寄贈し、弘幸さんの名誉回復とこの事件の真相を明らかにする運動は秋間さんなくして存在しませんでした。戦争によって起こったこの事件で兄を失い、スパイの家族といわれ、戦前だけでなく戦後もつらい経験をしたことから、自分のような家族を二度と作らせないと、秘密保護法に反対するとともに、宮澤弘幸の名誉回復を求めて何度も住まわれていたアメリカから来日されました。道新での墓碑銘2020への掲載は私たちの運動の「成果」の反映でもあると思います。また4月17日に亡くなられた元北大総長中村睦男さんは「心の会の碑」建立(2014~5年の取り組み、北大当局拒否)の呼びかけ人人にもなって下さり、さまざまな場面で私たちを激励してくれました。さらに運動を大きくして、秋間美江子さんたちに戦争のない平和な日本を作るために頑張ることを誓いたいと思います。

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学問の自由と思想統制の歴史  

2020年12月14日 by admin_okui

思想統制の行きついた先は一学生の冤罪逮捕であった。    

荻野 富士夫

ー12月8日のあかはた新聞記事からー 

荻野富士夫さん(小樽商大名誉教授)は当会の12月8日を記念した宮澤・レーン事件を考えるつどいに2回にわたり、「戦時下の言論。思想弾圧―宮澤・レーンスパイ冤罪事件の背景を考える」(2015)「「大学の教育の歴史から学ぶ―よみがえる戦時体制大学と教育をめぐってー」(2018)と題して講演していただきました。誰もが知ることを話したのをスパイ行為とする冤罪にもかかわらず、宮澤さんとレーン夫妻はスパイ事件ではゾルゲ事件に次ぐ重い刑を課せられた背景について国の狙いを話され、そしてこの事件を戦争下での教育や大学をめぐる状況の中に置いてみることが必要と指摘されました。記事の中でもこの事件は国家・戦争と緊密に結びついた大学のありようと無関係とは思えない、思想統制の行きついた先にあったのは一学生の冤罪逮捕であった。と指摘されています.

荻野さんの記事

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