宮澤・レーン事件を考える会

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多くの皆様の参加で充実した北大ピースツアーと講演会(2)

2026年4月23日 by admin_okui

 北大学術交流会館に会場を移し、西里扶甬子氏の講演「731部隊からフクシマまで―戦犯科学者たちの戦中・戦後」を聞きました。西里さんは北海道大学文学部英米文学科卒業。北海道放送、オーストラリア放送ラジオ・オーストラリアを経て東京でフリーランサーとして、海外メディアの仕事を20年。ドイツテレビ東京支局に15年。2016年よりフリーランサーに戻り、731部隊はじめ広島の原爆の放射線汚染、福島の原発事故の放射線汚染の問題などを調査、研究されてきました。

 例年通り50人収容の会議室を取っていましたが80人もの参加があり、椅子を追加し、資料が足りず途中印刷に走るという不手際があり、主催者として大いに反省しています。講演では731部隊の実態についての詳しい説明や戦後の部隊員の証言、部隊で指導していた医師たちの戦後など初めて知る内容でした。特に彼らが広島・長崎、第5福竜丸事件からフクシマまで、放射線の影響調査に大きくかかわっていた点は驚きでした。1時間半では話しきれず、参加者からももっと話を聞きたいという要望がありました。 

 このHPに講演の動画を入れましたのでご覧ください。

多くの参加者
講演する西里さん

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多くの皆様の参加で充実した北大ピースツアーと講演会(1)

2026年4月22日 by admin_okui

 4月12日は寒さが残る日になりましたが、北大外国人教師官舎のあった林の前は開始時間前から多くの皆様の参加で熱気あふれる雰囲気でした。50部用意した資料はなくなり、後からお送りすることになるという事態になり、申し訳ないことになりました。

 北大には多くの場所に案内板がありますが、可愛い花を咲かせているスノーフレークの群生が見られる林に、かつて何があり、何が起こったかを説明する案内板はありません。スノーフレークの名前の案内もありません。私たちはこんな案内板を作りたいと仮の案内板を掲げ、この場所で起こった北大が誇るべき歴史と、戦争の悲劇の説明を聞き、レーン夫妻の庭に咲いていたスノーフレークの群生、ニオイスミレの可憐な花を楽しみました。

 宮澤・レーン事件を考える会では北大で起こった戦争の悲劇を二度と繰り返させないためにこの地に案内板とモニュメントをつくり、この場所を貸していただき設置させてほしいと北大に要望し続けていますが、北大からはよい返事は得られていません。一昨年来日したダーチャ・マライーも「忘れてはいけない記憶はキチンと残してほしい」と言いました。

 今春発刊された『北大と北大生の150年』にはColumとして「宮澤・レーン事件」が載せられていますが、中身は「事件80周年特別展」(2021~22、北大文書館主催)で「不合理な法運用」とした内容から大きく後退しているように思います。「明治期のグローバリズムの結実」が北大の「建学の精神」(寶金総長序文)だとすれば、宮澤・レーン事件はまさに権力による建学の精神の弾圧です。

 私たちは参加のみなさんに、案内板とモニュメントの設置についてご理解とご協力をお願いしました。

 その後、宮澤・レーン事件のパネルがある北大総合博物館、1936年の秋、北海道で陸軍特別大演習が行われた際、北大農学部に大本営が設けられ、昭和天皇の仮御所となったことを記念して、翌1937年に建てられた聖蹟碑を観ました。この碑にはなぜか案内板がなく、朽ちかけたままになっています。その向いにある古河講堂は1907年に足尾銅山鉱毒事件の古河鉱業が原敬の勧めで寄付したものです。1995年北大人骨事件があり一階の研究室の本棚の上に、段ボール箱に入った6体の頭骸骨が発見され、その中に韓国珍島で蜂起した「東学党首魁」と記されていたものがありました。最後にクラーク像の説明を聞き、講演が行われる北大学術交流会館に移りました。

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春の北大ピースツアーのお知らせ

2026年3月23日 by admin_okui

 今年も北大のレーンさんたちが住んだ外国人官舎跡の林では雪の下からスノーフレークが芽を出し始めました。  今年は北海道大学創成150周年として大学ではテレビでもその輝かしい歴史を歌っていますが、その歴史は決してそれだけではありません。特に戦時下の民主主義、大学の自治が奪われた歴史を忘れてはなりません。

 新しい戦前、戦中の足音がひたひたと迫ってこようとしている今、大学では軍事研究が防衛省の「安全保障技術研究推進制度」を中心に拡大傾向にあります。

 スパイ防止法制定の動きはスパイ冤罪事件の悲劇、宮澤・レーン事件が再び、繰り返される危険があります。今こそ宮澤・レーン事件を考える会は北大の外国人官舎で起こった悲劇を伝え続けることの意義を参加者とともに考えたいと思います。            

 13時に集合し、外国人教師官舎跡ークラーク像ー古河講堂ー北海道総合博物館を説明を聞きながら回ります。その後北大学術交流会館に移り、学習会で北大出身のジャーナリスト西里扶甬子氏の「731部隊からフクシマまで」と題した講演を聞いて、戦争の実態を学びます。

下のちらしをご参考に! ぜひご参加ください。

予約問合せは 090-1527-9009までお願いします。

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12月14日「宮澤・レーン事件を考える集い」  が開催され、多くの方が参加しました。              

2025年12月31日 by admin_okui

わかりやすく戦前と現在を読み解き、現在は「新しい戦中」の前夜とみるべきと! 熱心に講演に聞き入る聴衆

 1941年12月8日、太平洋戦争開戦の日に起きたスパイ冤罪事件「宮澤・レーン事件」。

 その日を忘れまいと宮澤・レーン事件を考える会が毎年12月に開催している集いが、12月14日、北海道大学農学部で開かれ、約160名(学生35名)の市民が参加しました。

 冒頭の挨拶で考える会共同代表の唐渡興宣氏は「安倍政権は2013年に特定秘密保護法を制定し、2015年には集団的自衛権行使容認を含む安全保障関連法を制定。続く岸田政権は敵基地攻撃能力の保有と大軍拡を含む安保関連三文書を閣議決定。日本は戦争ができる国家から戦争をする国家になり、更に高市首相は台湾有事発言で中国の反発を招き、それを利用して排外主義を煽り、スパイ防止法案を検討している。」と指摘しました。

 小樽商科大学名誉教授で治安維持法研究の第一人者である荻野富士夫氏は「治安維持法と『新しい戦前』―『国体』の威力と魔力―」と題して講演。最初に上田誠吉弁護士が1987年に出版した『ある北大生の受難―国家秘密法の爪痕』により、宮澤・レーン事件が広く世に知られるようになったと紹介しました。

「2022年末のタモリさんの発言『新しい戦前』は共感を呼び定着してきたが、現在は『新しい戦中』の前夜とみるべきではないか。今年、参政党が示した憲法構想案の前文に『國體』が使われているが、かつての治安維持法の威力の源泉に『国体』があった。『国体』の魔力に人々は畏怖・恭順し、呪縛され統制され動員されたのである。治安維持法は1928年に最高刑が死刑となった。

1985年、中曾根内閣による国家秘密法の制定は国民の反対により廃案になったが、すでに特定秘密保護法は制定され最高刑を10年としている。1937年からの『戦中』にかつての軍機保護法は最高刑を死刑と変え、その中で宮澤さん、レーンさんが破格に重い懲役15年とされた。今また検討されているスパイ防止法案は『極端な思想』をもつこと自体を罪として処罰する。最高刑をどうしようとしているのか。治安維持法現代版の登場という段階にきている。」と強調しました。

 

吉田栄一氏
山形定氏

 吉田栄一氏は「宮澤・レーン事件裁判と思想検事」と題して、当時の思想検事(思想犯罪を取り締まる検事)らが警察官と共に「使命感」を持って国家権力による弾圧に加担していた実態を報告しました。

 山形定氏は「北海道大学における軍学共同の現状と研究の自由」と題して、北大の軍事研究に関わる歴史と現状を報告。2018年に防衛省の助成を辞退しましたが、総長解任後に採択件数は増加し、2022年の経済安全保障推進法では軍事技術開発への研究者の動員も出現している現状について問題提起しました。

 考える会では北大創基150周年に向け、北大の外国人教師官舎跡地に「心の会」のモニュメント設置を実現すべく要請を続けていることを、参加者に訴えました。

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 ”宮澤・レーン事件を考える集い”のお知らせ

2025年11月22日 by admin_okui

1941年12月8日、太平洋戦争開戦の日に起こったスパイ冤罪事件”宮澤・レーン事件”、その日を忘れてはならないと毎年開催している集いです。       

安保法制を強行採決してから10年、集団的自衛権の容認は今日の高市発言を生み出すまでになりました。特定秘密保護法、共謀罪法、経済秘密保護法・・・憲法が保障する国民の知る権利や思想・良心の自由はどうなるのでしょうか。

治安維持法研究の第一人者、荻野富士夫氏を招き「新たな戦前」を許さないために皆様と学び合いたいと思います。

多くの皆様の参加をお待ちしております。

     

     毎日新聞11月19日               北海道新聞11月21日           

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宮澤・レーン事件を語り継ぐつどい                     戦時下の宗教統制と弾圧

2025年8月14日 by admin_okui

7月12日午前にレーン夫妻の墓前礼拝を終え、同日午後2時から”道内キリスト教会の戦争責任と戦後の歩み”についての集いを札幌北光教会で開催しました。

戦後80年、二度と戦争を起こさせないために戦時下で何が起こったかを忘れてはいけないと、今回は戦時下の教会をテーマに講演会を行いました。

 講演1 「戦後80年 戦時下の教会を取材して」

   伴野 昭人氏(北海道新聞報道センター編集委員)

 講演2 「『世である教会』を目指して― 豊平教会の分かち合い活動と平和」

   稲生 義裕氏(日本キリスト教会豊平教会牧師)

<講演1> 道新で日曜日に「私たちの平和論ー2025年戦後80年 戦争の正体を追う」という記事を連載している伴野氏は「戦時下の教会」と題して話しました。

植民地だったパラオなどを取材する中で天皇制について考えるようになり、更に戦争とキリスト教、戦時下の国家とキリスト者との関係に関心を持ち、取材を進めました。

1941年、戦時下で日本基督教団が国によってつくられ、軍用機を国に奉納するなど戦争体制に迎合していく一方、多くのキリスト教会牧師などが投獄され弾圧されました。小樽の内田ヒデ牧師は札幌の拘置所でポーリン・レーンさんとめぐり合い、「神様が遣わした天の使いにめぐりあった」と遺しています。

植民地の朝鮮でも多くの教会が廃止され、多くの信徒が投獄され、犠牲になった事実がありました。

戦時下の教会の実態は資料が少なく明らかになっていませんが、北海道では最近になって遠軽教会で歴史的文書が見つかり、教会が戦争に飲み込まれていく実態が明らかになりました。教会の歴史は日本の歴史の1つとして掘り起こしが必要です。

1967年、日本キリスト教団は戦責告白を出し、戦争の過ちを認め、謝罪と反省の意を表明しました。札幌豊平教会は1996年に戦責告白をし、二度とこのような過ちを犯さないよう教会は何をすべきかを問い、様々な活動をしていると話しました。(このことは講演2で豊平教会の稲生牧師が話されました。) 

<講演2> 日本キリスト教会豊平教会牧師の稲生氏です。

最初に北海道、札幌の歴史について。北海道の開拓は先住民であるアイヌの人々の土地を奪う入植植民地政策として進められ、国内貧困対策として北海道・札幌への移民が奨励されましたが、支援金の打ち切りにより札幌の豊平地域は困窮した人々が集まる地域になりました。

その中で「遠友夜学校」が開校され、スミス女学校(今日の北星学園)を開設した宣教師のサラ・スミスさんが日曜学校を開き、この日曜学校が札幌豊平教会の淵源となりました。しかしスミス宣教師は1932年にアメリカ人宣教師の帰国命令により帰国されます。

宗教活動を国家の統制下に置くための手段として宗教団体法が制定され、教会は日本基督教団に集約され、戦争体制下に置かれました。

戦後の豊平教会は終戦50周年に戦争下の教会が犯した過ちを認識するに至り、罪の告白と新たな宣教の決意を表明しました。

二度と過ちを犯さないために教会は何をすべきかを様々な活動を通して考えてきました。平和の問題で重要な課題の一つは貧困問題で、教会では地域の方々の協力を得て地域の子供たちに向けて子ども食堂を始め、現在では多くの子供たち家族が利用しています。

豊平教会が建てられた歴史的意義を振り返り、戦争下の教会を反省し、平和で自由で公平な社会の実現を求めて活動を続けると話されました。

戦時下の教会を語る伴野氏   多くの参加者が熱心に講演を聞く  戦後の豊平教会の活動を熱

                                く語る稲生牧師

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レーン夫妻墓前礼拝ー円山墓地にて

2025年7月26日 by admin_okui

戦後80年。北光教会の会員で戦後も教会の活動に貢献されたポーリン・レーンさんの命日の7月16日、今年も北光教会主催でレーン夫妻の墓前礼拝が行われました。スパイ冤罪事件で検挙され、ハロルドに15年、ポーリンに12年の刑が科せられた宮澤・レーン事件。

指方牧師は、この墓前礼拝は教会が戦争に協力し隣人としての役割を果たせなかったことを反省し何をなすべきかを考える場でもあると語りました。さらに「今、世界は分断と対立の世界になっています。分断と対立を身をもって経験されたレーン夫妻は、この場所から平和と和解を求めて叫んでおられるでしょう。その言葉を私たちはしっかり受け止め、頑張りたいと思います。」と話されました。続いて教会会員で当会代表でもある一條さんと、お父様が学生時代レーン夫妻にお世話になった会員による、レーン夫妻への平和を願うお祈りがありました。

北光教会指方牧師の墓前礼拝
お祈りをする当会代表幹事
お父様が学生時代レーン夫妻にお世話になったMさんもお祈りを

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スノーフレークが美しく群生する外国人教師官舎跡で宮澤・レーン事件を学びました。

2025年5月13日 by admin_okui

4月13日、雪が解けた後に美しく咲いた可愛い花スノーフレークの群生を見ながら、この場所でくりひろげられた歴史に思いをはせました。

ここは日米開戦を目前にした中で、外国人教師らと学生たちが国籍、身分を超えてそれぞれの国の文化学問を学びあい、友情を育んだ『心の会』が開かれていた場所でした。『心の会』では政治的なことは決して話されることはありませんでしたが、特高に狙われ、「宮澤・レーン事件」が起こった場所でもありました。

北大でアイヌの文化を研究するため家族で来道したフォスコ・マライーニ。長女のダーチャ・マライーニもこの官舎で宮澤弘幸たちと幸せな時間を過ごしました。

昨年、そのダ―チャマライーニが83年ぶりにここを訪れ、「ここのにおいを覚えています。官舎跡に何の案内板もなく、記憶が消されたようです。」と語りました。集まった私たちもダ―チャの言葉のとおり未来の平和のために『心の会』「宮澤・レーン事件」が記憶として残されるよう、官舎跡地にモニュメントを設置することが重要であることを確認しました。

可愛いスノーフレークにカメラを向ける参加者
スノーフレークを前に宮澤・レーン事件を学ぶ

スノーフレークを観賞した後、北大総合博物館に立ち寄り、「心の会」の写真を配した「宮澤・レーン事件」のパネルの前で再度事件を振り返りました。

次に学術交流会館に移動し、最初に愛知県豊田市で撮られたDVD「東海の肖像」を上映。内容はマライーニ一家が1943年に名古屋の収容所に収監され、死と隣り合わせの生活を余儀なくされたのち、豊田市の廣済寺に移り、地元の人たちの温かい気持ちに触れて終戦を迎えるまでの記録です。

次いで、東京、名古屋とダ―チャと行動を共にした当会の一條代表幹事が写真を映しながら訪日の報告をしました。

一條代表幹事はダ―チャが素晴らしい女性であることにまず驚かされたと報告。自分の想いを何の原稿もなくわかりやすく語り、いろんな質問にも的確に答えるダ―チャの姿に多くの皆さんが感銘を受けたと話しました。また、ダーチャは白いお握りが大好きな事や子供時代のエピソードを披露し、最後に過去の記憶を残すことの大切さを強調し、参加者からも賛同の声がありました。

敵国人として豊田市廣済寺に収容され、住民の温かさを知ったマライーニ一家たち
遺言で廣済寺に建てられたフォスコ・マライーニのお墓”私の天体月へ帰ります。そして争いのメッセージをを地球に0クります。
マライ―ニのお墓前で語るダ―チャの幼な友達だった啓子さん

一條代表幹事の報告「ダーチャの心を旅する」
廣済寺で当時の思い出を語る
ダーチャ

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ダーチャ・マライーニさん訪日の記録           

2025年1月25日 by admin_okui

遅くなりましたが東京の北大OBOGの会、黒澤さん(講演会等の翻訳)はじめ多くの皆様のご協力を得てダーチャ・マライーニさんの訪日記録が完成いたしました。 ダーチャ・マライーニさんの素晴らしさが伝わってくる内容になっています。 ぜひ多くの皆様にひろめたいと思いますのでよろしくお願いいたします。

購入を希望者される方は考える会事務局( TEL 090-1527-9009)までご連絡ください。1部500円です。

                     

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2024年12月15日 宮澤・レーン事件を考えるつどいの報告 

2025年1月25日 by admin_okui

―戦後80年を迎え、知られざる戦争の傷跡と敵国人抑留を考えるー
1941年12月8日に起きた宮澤・レーン事件を忘れまいと、毎年12月恒例の集会が12月15日に北大で開催され、約80名の市民が参加しました。
すでに報告しましたように(ダーチャ・マライーニ来日の報告1~6)、2024年6月、私たちはフォスコ・マライーニの長女で、宮澤弘幸を知る最後の生き証人、イタリアの著名な作家ダーチャ・マライーニさんを日本にお招きしました。ダーチャさんは宮澤・レーン事件への思いや名古屋での過酷な抑留体験、そこを原点とするダーチャ文学について語りました。

今回は、敵国人抑留の実態を調査し明らかにされてきたPOW(戦争捕虜)研究会の小宮まゆみさんをお迎えし、『宮澤・レーン事件と敵国人抑留』と題して講演いただきました。
小宮さんは30年ほど前から敵国人抑留に関する研究を始め、開戦とともに始まった抑留は終戦まで続き、延べ1200人を超える外国人が抑留され、抑留所は全国で延べ60か所以上に達したということです。北海道では函館と室蘭に抑留所があり、1941年末には2人が抑留されました。
宮澤・レーン事件が起きた12月8日にレーン夫妻の病気の老父と11歳の双子の娘が天使病院に保護されたことに触れ、天使病院が「抑留所」のように使われた可能性を指摘しました。
また、アッツ島から連行されたアリュート人40名が小樽に抑留されましたが、栄養不足と結核の蔓延により終戦時の生存者は25名のみという悲劇的な抑留生活となりました。


小宮さんは戦争下で起こったスパイ冤罪事件 宮澤・レーン事件と、国籍だけで人を差別し抑留した敵国人抑留は、国家による人権侵害という意味で共通していると強調しました。

次に、宮澤・レーン事件を考える会から「ダーチャ・マライーニを日本に迎えて」、6月11日から20日まで、ダーチャさんが訪れた東京、名古屋、札幌の映像とともに、宮澤弘幸の墓参、豊田市の廣済寺訪問、各地での講演会、北大訪問等の報告がされました。

続いて北大工学研究院教員山形定氏から「北大における軍事研究」の報告。北大は防衛装備庁研究費を2年連続で応募し採択されましたがその経緯を解説し、「軍産学共同体」への先駆けとしないために学内外で声をあげ続ける必要があると訴えました。

当日、「ダーチャ・マライーニさん訪日の記録―未来への記憶」が完成し、受付で販売されました。購入希望者は考える会事務局までご連絡ください。詳しくはHP「ダーチャ・マライーニさん訪日の記録」をお読みください。         

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宮澤・レーン事件を考えるつどい

2024年11月26日 by admin_okui

戦後80年を迎え知られざる戦争の傷跡 宮澤・レーン事件と敵国人抑留を考える。

今年は皆様のご協力を得、宮澤・レーン事件の生き証人でもあるダ―チャ・マライーニを日本にお招きし、大きな成果を得ることができました。その中でダチャー・マライーニは世界の平和のために何をすべきかを訴えました。そのことを戦後知られることがなかった宮澤・レーン事件、敵国人抑留の事実を通して考えたいと思います。

講師には地道な調査をされ、敵国人収監の事実を明らかにされてきた小宮まゆみさんをお呼びします。

2024年 12月 15日(日)
北海道大学学術交流会館1 階小講堂 札幌市北区北8 条西5 丁目
講演 『宮澤・レーン事件と戦時下の敵国人抑留』
講師 小宮 まゆみ 氏

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ダーチャ・マライーニ来日の報告6 札幌ー4

2024年11月23日 by admin_okui

ダーチャ、北海道大学を表敬訪問

6月18日14時からの北大表敬訪問は、ダーチャ、望月、唐渡、石田(通訳)、北明の5名で行いました。
北大は寶金清博総長の都合がつかないということで、山本文彦理事・副学長(文書館館長)が応対しました。事前に「交渉の場ではないので案内板、モニュメントのことは言わないように」と総務部長にクギをさされ、時間も15分と言われていました。
訪問メンバーの紹介後、ダーチャさんの来日以来の行程を簡単に説明し、「それでは最初にダーチャさんからお話させていただきます」と進めました。細かい打ち合わせはしていませんでしたが、ダーチャの後に唐渡先生、望月さんに一言ずつ話してもらおうと思っていました。

ところがダーチャが話し始めるとほぼ20分、休みなしです。全体15分が25分に伸び、同席した事務方から「予定時間を過ぎ、次の予定もありますので」と言われ、唐渡先生、望月さんは話すことなく終わりました。

ダーチャは初めに「今の時代は消費文化の時代だ。イタリアでもひと月に70,000冊の本が出版されるが、約半分は捨てられる。私たちは消費文化の時代において、大切なものを忘れてしまいがちだ。しかし、忘れてはならない記憶がある。それが宮澤・レーン事件であり、『心の会』である。ぜひそれらを具体的な形のあるもので残し、後々の人がそれを見て思いだし、語り合えるようにしていただきたい。」と話し始め、山本副学長は「私は西洋史を研究している。歴史を学ぶことはよりよい未来、よりよい社会を築くためだ。おっしゃることは理解できる。」と答えました。

会談はこのようなやり取りが続き、最後にダーチャはサインの入った『 Vita mia 』を贈呈し、退室する前に4名の記念写真を撮って終わりました。

会議室を出ると本部前の広場で新聞社や迎える会のメンバーが待っていました。「先ほどの面会があなたの旅の最後のイベントでした。今すべてのイベントを終えた感想は?」という問いに、ダーチャはおよそ次のように答えました。

「特に写真展は心が動かされた。不幸なことに、この場所は事件の証言となるものが何もない。たとえば、私たちが2年間住んだ教員官舎は壊されてしまった。だから、写真と文書に残された記憶に心動かされた。そのいくつかは知っているものだったが、知らないものもあった。私にとっては、父や宮澤さん、そして当時の友人、心の会のメンバーと共に写る写真を見ると、とても感情を動かされる。それらは重要なのだ。日本の人びとが外国人と関係を築いていた好例だから。そのことは何も悪いことではなかった。経済的なつながりだけでなく、知的、文化的、社会的な関係を持つことは必要なことだ。心の会はその好例だった。それは今日でも言えること。だから、宮澤・レーン事件に取り組むことは重要なのだ。若者は彼を知り、戦争で何が起こるのかを知るべきだ。」

帰りの車の中で「私は言うべきことをしっかり言ったわ」とダーチャは語りました(望月さん談)。写真展見学と北大表敬訪問、札幌の最終日をいい形で終えました。

北大表敬訪問に向かう
山本副学長、ダ―チャさん、唐渡当会代翻訳家望月さん

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ダーチャ・マライーニ来日の報告5 札幌ー3

2024年10月14日 by admin_okui

6月18日

北海道立文学館で開催された写真展訪問

ダ―チャを札幌に迎えるにあたって「ダーチャ・マライーニを日本に迎える会」(事務局「宮澤・レーン事件を考える会」)では札幌での幼いダ―チャを中心とした写真展を北海道立文学館で開催しました(6月15日~19日、17日休館日)。宮澤弘幸のアルバムを中心に40枚の写真を展示しました。

6月18日午前、ダ―チャは写真展を訪れ、道立文学館の工藤館長や小野有五北大名誉教授らと歓談し、小野氏と懐かしい写真を見て回り、2年余りを過ごした北大の外国人教師官舎や幼い頃の写真の数々に感動を新たにしました。

館長との有五北大名誉教授と
写真を撮るダ―チャ
フォスコがとった写真のアイヌの人たちの説明をする小野氏

写真展展示写真

北大外国人官舎マライーニ家
スキーで遊ぶダ―チャ
官舎で、ダーチャ3歳の誕生会
レーン夫妻の双子の姉妹とダ―チャ
弘幸、1941年夏マライーニ一家を京都に訪ね嵐山で。
京都嵐山で弘幸とダ―チャ、フォスコ・マライーニ

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ダーチャ・マライーニ来日の報告4 札幌ー2

2024年9月23日 by admin_okui

6月17日

 北海道大学山岳部山岳館訪問

ダ―チャの父フォスコ・マライーニは北大に在籍中北大山岳部とも交流があり、北大山岳部の資料が展示されている山岳館を訪れました。1940年の北大ペテガリ登山隊の遭難の時はフォスコも参加するはずでしたが、ダ―チャの発熱で3日遅れで出かけたところ事故を知り捜索に加わったそうです。その後このような事故防止のため、荷物を少なくする方法としてエスキモーの雪小屋「イグルー」の実験を手稲山で弘幸と行って発表し、冬山登山についてのアドバイスをするなど山岳部に貢献したことなどが北大のOBから話されました。ダ―チャは初めて聞くことだったようで大変興味深く聞いていました。

北大山岳部のOBらと話す
興味深く聞くダーチャ
ペテガリ遭難の際ともに捜索した阪本直行の絵を見るダ―チャし

北海道大学文書館訪問

北海道大学文書簡には最初に宮澤・レーン事件を発見し、明らかにした上田誠吉さんの遺族から寄贈された様々な資料や秋間美江子さんが2,012年に北大に寄贈した宮澤弘幸のアルバム3冊が収蔵され、一部展示されています。         宮澤さん関係の展示を望月さんとゆっくり眺め、北大の歴史の展示も興味深そうに見ていました。別部屋に用意された宮澤のアルバムにたくさんの幼いダ―チャの写真があり、なつかしそうにページをめくっていました。

戦前の北大の写真に見入るダ―チャ
宮澤・レーン事件の展示には食い入るように望月さんの説明を聞きながら見入りました。
弘幸のアルバムを熱心に見る

北大文学部水溜教授開催のセミナー

ダーチャ・マライーニ氏を囲んで―文学とフェミニズム

北大文学部水溜教授がダ―チャ来道を知り、ダ―チャの文学論、フェミニズムをきく企画を北大文学部で開くことを提案され、実現しました。ダーチャを囲む会には学生を含め80名余りが参加。「70年~80年代のイタリアのフェミニズム運動は女性差別に関する種々の法律を変えた。」「自由を愛する家族に恵まれ、正義を教えられた。」「情熱を失わないことが大切。自分の(理想とする)モデルを目指して。」など、高度に文学的、思想的なセミナーになりました。

水溜先生の司会で
文学について語るダ―チャ

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ダーチャ・マライーニ来日の報告3 札幌ー1

2024年9月4日 by admin_okui

  ダ―チャ・マライーニを日本に迎える会 事務局 宮澤・レーン事件を考える会

6月15日に来道し、千歳空港では横断幕と花束でお迎えしました。

札幌を何十年かぶりに迎える横断幕
望月さんと考える会の代表一條さんたちと

6月16日 午前 北11条の北大外国人教師官舎跡を訪ね、しばし木立の中で懐かしげに佇みました。そしてすでに官舎が取り壊されてしまったことを大変残念がりました。

木々が茂り林となった官舎跡地
記録がない辛い思いを語るダ―チャ
「『記憶』を形のあるもので残し、過去を知ることが大切」と語る

その後、北大総合博物館を訪れ、ご両親と共にレーン先生ご夫妻や宮澤弘幸らが並ぶ「心の会」の写真に見入りました。

 講演会 14時からは北大農学部で講演会が開催され、午前に訪れた教師官舎跡の印象を「大きな感情が湧いてきて、自分が捨ててしまった記憶を思い起こした。懐かしく思うだけでなく過去を知ることが大切です。」と語り、北大に案内板とモニュメントの設置を要請していることについて「記憶を残すことが必要。モニュメントで残すことは重要です。」と。宮澤弘幸の記憶は「穏やかで親切、情愛の深い人。」事件について「若い学生が外国人に心を開いて文化を吸収しようとしたのが裏切り行為というのは理解できなかった。敵を作りだすことで強い戦時体制を作りだそうとしたのです。」と語りました。会場からの質問にも丁寧に答えるダ―チャでした。講演会には約250名が参加しました。

農学部大講堂での講演会望月さんの質問に子田wるダ―チャ
会場は定員を超え、約250名の参加でした
会場から質問に明快に答えるダ―チャ通訳は石田さん

この集会にイタリア在住の世界的彫刻家安田侃氏が駆けつけてくれました。

安田侃氏はフィレンツェでの個展の際にダ―チャの父であるフォスコ・マライーニに助けられたという経験があったのです。

和やかに語り合うダ―チャと安田侃        息子さんも一緒に。

ダーチャ・マライーニを迎える歓迎会

夕方から北大マルシェにおいて歓迎会を行いました。歓迎の意味を込めてミニコンサートを行いました。ソプラノ歌手の川島沙耶さんがイタリアの歌、日本の歌を歌い、ダ―チャさんが覚えている歌「春が来た」を皆で歌いました。イタリアまでダ―チャさんを訪ねて記事を書いた小坂さんやフォスコ・マライーニと親しかった写真家の水越さん、名古屋から駆け付けてくれた廣済寺の住職酒井さん。宮澤・レーン事件の取材で秋間美江子さんを訪ねて行った庄司さんたちが集まって温かい歓迎の言葉をいただきました。ダ―チャさんは大きな家族のようだと話されました。

歌のミニンサート
楽しそうに語るダ―チャ

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ダ―チャ・マライーニ来日の報告2 名古屋

2024年9月4日 by admin_okui

   ダ―チャ・マライーニを日本に迎える会 事務局 宮澤・レーン事件を考える会

6月14日  マライーニ一家が最初に収容された名古屋の天白寮跡と豊田市の廣済寺を訪ねました。

戦争末期、ムッソリーニ政権が崩壊し、イタリア北部にナチス・ドイツによるかいらい政権が生まれましたが、フォスコとトパーツィアはこの政権への忠誠宣誓を拒否しました。ダーチャは「子どもたちのことを考えれば同調という選択肢もありました。それでも両親は自由を選びました。しかし、自由には代償が伴います」。天白寮での待遇は劣悪で、ダーチャは「日本の強制収容所」と呼びます。4人の看守は悪意に満ちていました。食料を横取りする、暴力をふるう、殺すと脅迫するなど。飢えのあまりダーチャはアリを食べ、体に悪いとたしなめられました。

現在は某ゼネコンの立派な社員寮となっていて、収容所の存在を知らせる案内はありません。ダーチャは「私たちの存在までが消されるように感じる」といいます。ヨーロッパでは歴史遺産には細かにプレートを貼りつけ紹介しますが、日本では自国に都合の悪い歴史は、強い圧力でもなければ伝えられません。

東南海地震と名古屋空襲によって一家は豊田の奥深い山間にある廣済寺に移されました。住職の孫の啓子さんはダーチャと一緒に遊んだ幼な友達ですが、今回再会することができました。啓子さんはダーチャのことを今でも「だあちゃん」と呼びますが、ダーチャは嫌な思い出の数々と共に、流暢だった日本語を忘れてしまいました。しかし、ダーチャの偉大な思想の少なからぬ部分が名古屋で基礎を与えられたようです。

地元記者との会見の後、遺言でローマから分けられたフォスコの墓にお参りしました。廣済寺の裏手にある墓には「私の天体月へ帰ります。そして争いのないメッセージを地球に贈ります」といかにも彼らしい言葉が刻まれています。山の斜面に開かれた墓から下を覗くと池が見えます。ここではカエルや蛇をとらえて食べたとのこと。シマヘビがうまかったとか…。というわけで、ダーチャの食へのこだわりは大変なもので、同行者は何を食べさせるか大いに悩みました。

抑留中にヤギの親子が提供され、それを食べさせられたショックで、肉はいっさい食べません。日本食を食べたいと言いますが生ものはダメ。しかし、海苔で巻いたおにぎりはよく食べてくれました。それは札幌、京都で体験した幸せな心の味なのです。

過酷な強制収容に耐えることができたのはなぜか。その質問にダーチャは「邪悪な人間たちに苦しめられたが、廣済寺ではそれにも増して善良な人間に会えた。それが忍耐する力となった」と答えます。名古屋へは考える会代表幹事の一條英俊も同行しました。          

思い出の廣済寺に立つ
酒井住職と幼馴染の啓子さんと
フォスコ・マライーニのお墓に墓参

廣済寺時代仲よく遊んだ啓子さんとの嬉しい再会
名古屋天白での収容所での苦しかった生活と廣済寺に移されてから地域の人の温かい気持ちに嬉しかったことを語る
廣済寺にあるフォスコ・マライーニのお墓「私の天体月へ帰ります。そして争いのないメッセージを地球に贈ります」  

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ダ―チャ・マライーニ来日の報告1 はじめに 東京から

2024年9月4日 by admin_okui

ダ―チャ・マライーニを日本に迎える会 事務局 宮澤・レーン事件を考える会

1.はじめに

ダーチャ・マライーニさんはノーベル文学賞候補に挙がる著名なイタリアの女性作家です。1938年2歳の時に、アイヌ文化研究のために北海道大学に留学してきた父親フォスコ・マライーニさんとともに来札し、北大の外国人教師官舎に暮らしました。

宮澤弘幸はフォスコと親しくなり、一時マライーニ一家と同居するほどで、幼かったダーチャさんを大変かわいがりました。

1941年12月8日に北大で起きた英語教師レーン先生ご夫妻と工学部学生宮澤弘幸の冤罪事件「宮澤・レーン事件」。私たちは再びこうしたことを引き起こさせてはならない、そのために外国人教師官舎跡に案内板とモニュメントの設置を、と北大への要請活動を続けてきました。しかし、北大はまだこの要請に応えてはくれません。

そこで、宮澤弘幸を知る最後の生き証人であり、戦時中強制収容所の体験を持つダーチャ・マライーニさんを招き、この取り組みを前進させるきっかけを作ろうと考えました。そのため、今までご協力いただいた方々と共に「ダーチャ・マライーニを日本に迎える会」を発会し、広範な皆様にご賛同とご支援を呼びかけました。

その結果、多くの皆さまのご寄付により今回の来日が実現しました。

ダーチャさん(以後、ダーチャ)は去る6月11日に来日し、東京、名古屋、札幌を巡る過密なスケジュールを精力的にこなし、20日に帰国の途に就きました。

イタリア文学者であり翻訳家の望月紀子さんがダーチャの日本滞在中、来日から帰国するまで行動を共にしてくださいました。

また、NHKテレビが名古屋、札幌までダーチャを取材しました。

    

東京報告 

6月11日  ローマから羽田に到着したダーチャ・マライーニを望月紀子さん、イタリア語通訳を担当する黒澤多佳子さん、宮澤・レーン事件を考える会代表幹事の唐渡興宣らが出迎えました。

夜は駐日イタリア大使から大使館での夕食会に招待されました。

6月12日  新宿・常圓寺(宮澤家の菩提寺)を訪れ、ダ―チャに会うために広島から駆け付けた宮澤弘幸の姪と、宮澤弘幸が眠る供養塔に花を供えし、お参りしました。その後の歓迎交流会には約80名が集まり、考える会の代表幹事唐渡興宣が「迎える会」を代表して挨拶しました。学生たちも少なからず参加していました。ダーチャは宮澤弘幸の記憶や昨年上梓した「Vita mia (わたしの人生)」に関して語りました。

「日本は、子供の時期、8年間を過ごした大切な場所であり、その後の未来を創る礎の一つともなった。                                            
戦争中は敵国人として収容所に収容され大変な経験をしたけれども私たちの敵となる存在は官憲であり、一方、外にいる日本人は皆、私たちの側にいてくれたということを知っていた。宮澤弘幸は優しく誠実な人で、決して理解不能な嫌疑をかけられる理由はまったくない」と、この事件を当時京都で知ってとてもつらい思いをしたこと、そして文化、文学への深い思いを語ってくれました。

夜はイタリア文化会館でフォスコ・マライーニ賞(日本語で書かれたイタリアに関する優れた著作に対して贈られる賞)授賞式に参列し、ご挨拶されました。

この日夕方、唐渡代表ら「迎える会」のメンバーはイタリア文化会館館長との面会がかない、ダーチャ来日の経緯などを伝えました。

 

宮澤弘幸の姪福原さんと弘幸のお墓にお参りする
花束を贈呈、司会は北大OBの泉さん
著書「わが人生」などを語る
多くの参加者が感銘を受けた講演でした。
イタリア文化会館でのフォスコ・マライーニ賞の授賞式で語るダ―チャさん
イタリア文化会館でイタリア文化会館でのフォスコ・フォスコマライーニ賞受賞式で挨拶
イタリア文化会館館長、唐渡代表、寺沢さん、望月さん

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ダーチャ来道を前に北大に申し入れ

2024年7月24日 by admin_okui

外国人教師官舎跡に案内板とモニュメントの設置を

美馬代表は「戦前、官舎を舞台に心の会が活動しましたが、北大のヒューマニズム、自由と進取の精神の表れでもあります。官舎跡に案内板とモニュメントを設置するなら、多くの人が北大の素晴らしさを感じることができると思います」と述べ、間もなく90歳になろうとする高橋さんは「私は一条中学や札幌南高でポーリンさんの授業を聞き、教養でレーンさんの講義を受けました。毎週のようにレーンさんのお宅へ通い、レーンさんの子どもたちを月寒の種羊場へ連れて行ったりしました」と述べました。

※代表者に名を連ねる松竹谷はるさんはお仕事の関係で当日来られませんでした。

レーン夫妻―宮澤弘幸―マライー二一家、戦雲迫る中においても、国籍や身分の違いを越えて、学問の真理を追究し、視野を世界に広げ、固い信頼で結ばれた学生・留学生(中国人など)と外国人教師の営みがあったということ、すなわち「心の会(ソシエテ・デュ・クール)」の存在を、北大は改めて評価すべきではないでしょうか。

また、北大の農学部を出た吉田栄一さん(盛岡市)が、良心的兵役拒否者としてのレーン先生の青年時代の研究をまとめ自費出版しました。私たちに託して、吉田さんはメッセージを添えて総長宛てに献呈しました。

「北大教師になった第一次世界大戦の良心的兵役拒否者   富士国際旅行社北海道ツアー 

ハロルド・レーン」  吉田栄一 著                北大外国人教師官舎跡                                     

    

次いで6月11日、田中豊と北明邦雄は富士国際旅行社北海道ツアーの40名分の署名を乾課長に手渡しました。「富士旅行社のツアーの人たちが来て3年になります。本州の人たちも私たちの話を聞いて、ぜひ案内板とモニュメントをと言っています。すでに2022年に北大の回答はいただいていますが、今回はダーチャも来ることですし、ぜひ再検討して下さい。ツアーの人たちを案内して官舎跡に行きましたが、これでは何もわからないと皆さん言っていました」。

4月から就任された乾優紀子総務課長を窓口として、私たちは改めて申し入れを行って参りました。北大は「事件の風化を防ぐための取り組み」を進めているので(案内板とモニュメントの設置には)「応じることができません」との回答(2022年10月28日)をしていますが、改めて再検討を要請するものです。


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ダーチャ・マライーニが来日しました。

2024年6月12日 by admin_okui

ダ―チャマライーニが無事元気に来日されました。

お迎えには「宮澤・レーン事件を考える会」の唐渡代表幹事も参加しました。

EPSON MFP image

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6月11日いよいよダーチャ・マライーニが来日します。

2024年6月5日 by admin_okui

<ダーチャ来日日程と行事>

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