多くの皆様の参加で充実した北大ピースツアーと講演会(1)
4月12日は寒さが残る日になりましたが、北大外国人教師官舎のあった林の前は開始時間前から多くの皆様の参加で熱気あふれる雰囲気でした。50部用意した資料はなくなり、後からお送りすることになるという事態になり、申し訳ないことになりました。
北大には多くの場所に案内板がありますが、可愛い花を咲かせているスノーフレークの群生が見られる林に、かつて何があり、何が起こったかを説明する案内板はありません。スノーフレークの名前の案内もありません。私たちはこんな案内板を作りたいと仮の案内板を掲げ、この場所で起こった北大が誇るべき歴史と、戦争の悲劇の説明を聞き、レーン夫妻の庭に咲いていたスノーフレークの群生、ニオイスミレの可憐な花を楽しみました。
宮澤・レーン事件を考える会では北大で起こった戦争の悲劇を二度と繰り返させないためにこの地に案内板とモニュメントをつくり、この場所を貸していただき設置させてほしいと北大に要望し続けていますが、北大からはよい返事は得られていません。一昨年来日したダーチャ・マライーも「忘れてはいけない記憶はキチンと残してほしい」と言いました。
今春発刊された『北大と北大生の150年』にはColumとして「宮澤・レーン事件」が載せられていますが、中身は「事件80周年特別展」(2021~22、北大文書館主催)で「不合理な法運用」とした内容から大きく後退しているように思います。「明治期のグローバリズムの結実」が北大の「建学の精神」(寶金総長序文)だとすれば、宮澤・レーン事件はまさに権力による建学の精神の弾圧です。
私たちは参加のみなさんに、案内板とモニュメントの設置についてご理解とご協力をお願いしました。






その後、宮澤・レーン事件のパネルがある北大総合博物館、1936年の秋、北海道で陸軍特別大演習が行われた際、北大農学部に大本営が設けられ、昭和天皇の仮御所となったことを記念して、翌1937年に建てられた聖蹟碑を観ました。この碑にはなぜか案内板がなく、朽ちかけたままになっています。その向いにある古河講堂は1907年に足尾銅山鉱毒事件の古河鉱業が原敬の勧めで寄付したものです。1995年北大人骨事件があり一階の研究室の本棚の上に、段ボール箱に入った6体の頭骸骨が発見され、その中に韓国珍島で蜂起した「東学党首魁」と記されていたものがありました。最後にクラーク像の説明を聞き、講演が行われる北大学術交流会館に移りました。




